東武スカイツリーラインの東向島駅から、歩いておよそ八分。京成曳舟駅からなら十三分ほどだという。隅田川の東岸、向島・東向島のあたりは、江戸のころ文人墨客が舟で遊びに来た郊外の行楽地だった。その面影を残す町並みの一角に、向島百花園はある。駐車場はないので、電車と徒歩で訪ねるのが基本になる。

骨董商がつくった、町人の花園

公式サイトによると、この庭園は文化・文政期(1804〜1830年)に骨董商の佐原鞠塢が開いた「民営の花園」が始まりだという。大名庭園ではなく、町人の手による庭である。当初は三百六十本の梅が主体で「新梅屋敷」と呼ばれた。「百花園」の名は「梅は百花に魁けて咲く」、あるいは「四季百花の乱れ咲く園」の意でつけられたと伝わり、命名者は絵師の酒井抱一、門の額は狂歌師・大田南畝の筆という。江戸時代には文人墨客のサロンとして賑わい、園内には芭蕉の句碑や山上憶良の歌碑など、二十九の句碑・石柱が今も残る。

昭和十三年に東京市へ寄付され、翌年から公開が始まった。戦災で焼失したものの昭和三十三年に現在の姿に復元されたといい、昭和五十三年には国の名勝および史跡に指定されている。

向島百花園の庭園風景。池や草木が配された江戸時代由来の花園の景観

写真: na0905 / CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

季節の行事を目当てに

園内では四季を通じて約二百三十種の草本類が観賞でき、九月には竹で編んだ全長約三十メートルの「ハギのトンネル」が見どころになるという。初代・鞠塢の追悼放生会に由来し明治中頃から続く「虫ききの会」、昭和二十二年に始まった「月見の会」、江戸時代から作られ皇室に献上されてきた「献上七草籠」。正月には隅田川七福神めぐりの福禄寿の札所として、年末年始の休園期間中も福禄寿尊堂のエリアだけが開くという。梅の早春か、萩の九月か、虫の音の初秋か。花暦をひとつ決めて出かける歩き方が、この庭には合う。開園時間や休園日、入園料は変わることがあるので、東京都公園協会「公園へ行こう!」の向島百花園ページで確認してから出かけたい。

帰り道の楽しみ

帰りは来た道を東向島駅へ。駅の高架下には、東武鉄道の実物車両や運転シミュレータを展示する東武博物館がある。庭園で江戸の花暦をたどったあと、鉄道の時間に触れて帰る。向島の半日は、それでちょうどいい長さになる。